はじめまして
Happy Smile Yoga<ハッピースマイルヨガ大宮>インストラクターのリエです。
ちょっとだけわたくしの自己紹介をさせていただきたいと思います。
プロフィールでは、さらっとお伝えしてありますが。。
私は、大学卒業後大手ホテルに就職いたしましたが、オールタイム(朝食~夜中のバータイムまで)のレストランに配属になりまして、シフト制の勤務に就き夜勤などを経験しました。
すると、もともと健康志向で朝起きて、夜に寝たい体質(←だれでもですが)でしたので、当初は同期のなかでも元気印のような役割を担っていましたが(自称)、だんだん体調を崩しはじめ、入社一年目の正月2日未明、都内のホテルとしては猛烈に忙しい日に、勤務を終わった後ロッカールームで気を失って救急搬送されました。
仕事は大好きでしたが、体力も実力のうちと思い、正月2日の未明に埼玉県から都内の病院に駆り出された両親からの強い意見もあり、退職しました。
「この時にヨガに出会っていれば!!」と後々強く思いましたが、逆にヨガの勉強を進めていくと、あーあの時すんなり辞めていて正解だったのかな、と今では思います。
ヨガの哲学ではじめに出てくるのが、【八支則(アシュターンガヨガ(8つの枝からなるYOGA))です。】
その8つのなかの一番初めに「気を付けること(慎むべきこと)」があります。
その中の初めに出てくるのが、「アヒムサ(非暴力」です。
非暴力というと、他人への肉体的な暴力が思い出されますが、もちろんそれも含まれますが、「自分自身に対しても」です。
もっと言うと、
・誰に対しても、どんな生き物に対しても
・どんな場所でも
・いつどんな時も
・どんな状況でも
気を付けるべき、とされています。
アシュターンガヨガ(8つの枝のYOGA)に関しては、また詳しくブログでお話させていただきたいと思いますが、
あの時私は、憧れのホテルに就職したことへの「執着」から、自分の持てる体力以上に頑張りすぎていたのだと思います。
ということで、ホテルを退職した後に、心と体のリハビリを求めてヨガを始めました。
その時出会ったヨガは、室温40℃、湿度60%のホットルームで決められたシークエンスを行う少しハードなヨガでした。
20代前半、リハビリとはいえエネルギーにあふれていた私はすぐにヨガにハマりまして、体系的に学びたいと思い米国ヨガアライアンス200時間講師養成コースを都内のヨガスクールで修了しました。
日々の練習では、アシュターンガヨガ(先程のヨガ哲学ででてくる【八支則(アシュターンガヨガ)】とは違い、ここでは流派のことです。)やアイアンガーヨーガなどのハタヨガ(肉体を鍛錬することを重視したヨガ)を中心に練習を行っていました。
その間、結婚したり、引っ越ししたりといろいろなイベントがありましたが、一番大きなイベントは今現在も継続中の不妊治療です。不妊治療って、とっても女性の身体や心に負担なんですよね。
わたくしも、もれなくホルモン治療の副作用的な症状に悩まされまして。
不妊治療は女性の月のリズムに合わせて行われますが、治療で投薬が始まるとみるみる「やる気」や「げんき」や「前向き」が失われていき、もう気持ちが落ちる落ちる。。高温期の熱っぽさを感じながら布団にくるまり、ぼ~~とする日々を過ごすのです。(これ、とても個人差があるようですが)
そして不妊治療をしながらも元気に活動されてる方のブログなんかを見ちゃって、余計自分のふがいなさに落ち込むのです。やる気も起きないのでヨガの練習もままならないという状況でどんどん体力も落ちていくわけですね。
でも最初のうちは今までにしてきたヨガの練習の蓄積があるので、妊娠判定で、「今月も残念でしたね、また来月の治療開始まで自由放免です」、という時期になれば、またヨガの練習を再開して体力、気力を回復するということが可能でしたが、何年にもなり治療も高度になるにつれ、「自由放免」期間で体力を戻すことが難しくなりました。
焦って練習を再開し、先月と同じポーズの練習をする、、すると頭に身体がついてこなくて身体のどこかが「痛っ!」となるわけです。
そんなことを毎月繰り返し、背中、肩、腰、脚、膝など、痛くないところがなくなり、気づきました。(←え?遅い?)
「日々身体は変化しているのに、練習するアーサナ(ポーズ)の種類、やり方が毎日同じではいけない。それってわたしに必要なヨガじゃない。」と。
たしかに、バランスよく定められたアーサナ(ポーズ)を順番通りに毎日繰り返し行うことで、体調や身体、心の変化を感じやすいという考えは理にかなっていると思います。実際、その練習方法で効果や変化を実感していました。調子の良いときは、集中してあっという間に走り抜け、最後のシャバーサナ(休息のポーズ)では至極の爽快感を味わえましたし、調子の良くないときは「このポーズまではがんばろう」とか目標がわかりやすかったり、「今日は全然だめだ・・・すべてをすっ飛ばしてシャバーサナで終わっちゃえ」というときもありました。
しかし「すっ飛ばしてシャバーサナの日」がずっと続くと、この決められたことをクリアしていかなくてはいけない、ということがとても重荷になってくるんですよね。
私がこの時学んだのは、その練習法が「良い」「悪い」ではなくて、その時その時の自分に合ったもの、必要なものをチョイスするべきだということです。人生のステージによってもチョイスすべきものが変わってくるのです。
初めて出会ったビクラムヨガもアシュターンガヨガも、20代の私には素晴らしい活力を与えてくれて、元気でいるために必要な筋力・柔軟性を得ることができました。しかし30代になり、身体も心も生活スタイルも変化しているのに、それを支えてくれているヨガの練習が20代のときと同じ、ビシバシ肉体を鍛錬しましょう、というスタイルのままではいずれ歪みが起きますよね。
それからの私のヨガはとても心地よいものになりました。
肉体の向上や強化を目指して「頑張るヨガ」ではなく、やさしく身体をメンテナンスして、すでに頑張っている自分を「いたわるヨガ」になりました。
「無理しない」「今の自分に必要な分だけ」「気持ちが向いたとき(心と身体が求めたとき)だけ」するようになりました。
そして、より微細にセラピー的に身体を使うことを勉強するようになりました。
ある先生が「自分自身を生まれたばかりの赤ちゃんのようにいたわることが大切よ。」とおっしゃっていました。
とても気持ちがやわらかくなりました。
その先生はヨガ歴40年、指導歴25年のチャーミングなオーストラリアの女性の先生ですが、その方も若いころはアシュターンガヨガやアイアンガーヨガなど創始者から直接指導を受けて熱心に練習を重ねてきたけれど、肉体鍛錬を重視した練習の行き着く先はアクロバット的な要素が強くなり、やがてケガという形で身体に歪みが起き、健康のために行っているのに、出来ないポーズをケガをおさえて練習するということに疑問を感じ、解剖学的に身体に無理なく、心と身体をケアするセラピー的なヨガに移行していったということでした。
日本人って、「初志貫徹」とか「1本筋を通す」とか、一度決めたら最後までやり通しなさい。みたいな精神論が尊ばれますよね。それは素晴らしいことだと思いますが、こと身体に関しては、特にステージによって身体のビッグイベントが多い女性は、もっともっと繊細に身体を「よしよし」っていたわって大事にしてあげる、というのが重要だと思います。
ヨガの練習も、「今日は何が必要?」と身体に聞いてあげて、「じゃあ、これあげるね」という気持ちでアーサナ(ポーズ)や呼吸や瞑想の時間を与えていってあげる、そんな感じで身体と「対話」しながらやっていきたいと思っています。
クラスに参加してくださる皆さんにも、この「自分をいたわる」気持ちを大切に、ひとりひとりに合った「自分にやさしいヨガ」をシェアしていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
トミザワリエでした!
長々お読みいただきありがとうございました。
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